自民党の山田太郎議員は奥さんとコミケに参加し、娘さんがコスプレイヤーという噂があります。
多忙を極める山田太郎議員と家族について紹介していきます。
山田太郎議員のプロフィールは?
出展元:https://twitter.com/tkmpkm1_mkkr/status/1717335818342412656/photo/1
本名 :山田太郎
生年月日:1985年9月23日
出身地 :東京都江戸川区
身長 :158cm
体重 :43㎏
2023年10月25日現在、山田太郎議員は文部科学大臣政務官兼復興大臣政務官の重要なポストについています。
自民党に所属していて、デジタル関連や表現の自由についての活動をしていることから、オタク文化への理解が深い議員です。
さらに、東京工業大学や早稲田大学での講義の経験もあります。
山田太郎議員は奥さんとコミケに参加?
出展元:https://twitter.com/re09726525/status/1160412649353408512/photo/1
山田太郎議員さんの奥さんは一般人なので詳しい情報はありません。
しかし、山田太郎議員の家族はコスプレやオタク文化に傾倒していて「コミケ一家」なのだとか。
国際展示場のイベントにも参加し、ブースを出し奥さんも手伝いに連れていっているそうです。
山田太郎議員の娘はコスプレイヤー?
出展元:https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1558445215764996096/photo/2
山田太郎議員の娘さんの詳しい情報もありませんが、コスプレにはまっているのだとか。
娘さんは、2012年の中学生の時にコスプレにはまったそうです。
山田太郎議員曰く、当時はかなりコスプレにハマっていたことからか「腐女子」と語っていたそうです。
2023年現在は24歳か25歳くらですが、現在もコスプレにハマっているのかは謎です。
そんなこともあり、山田太郎議員は秋葉原に事務所を構え、オタク層から人気を博しています。
山田太郎議員がコミケに参加するののは娘さんの影響が多きかもしれませんね。
ちなみに、自宅がコミケ会場と近かったので娘さんのコスプレ仲間の待機場所になっていたそうです。
山田太郎議員は実業家?
出展元:https://news.1242.com/article/292136
山田太郎議員ですが大学卒業後は、現在のアクセンチュア(旧:アンダーセンコンサルティング)に入社。
その後、バーンジャパンに入社して、オランダ製のERPパッケージのバーンを日本に導入しています。
製造業のシステム開発やコンサルティングに携わり、バーンジャパンが日本に進出すると立ち上げメンバーとして、日本法人の立ち上げに尽力します。
日本IBMに(旧:プライスウォータハウス)に入社し、製造業をはじめとした様々な企業のコンサルティング事業を行っていました。
当時、米国で最大の機械系三次元CADの開発販売会社のパラメトリック・テクノロジー・コーポレーションに入社。
米国ナスダックの上場企業のマーケティング担当の副社長を任せられ、米国の本社と日本とを行きする生活をしていました。
山田太郎議員の2001年~2005年までの経歴
2001年にパラメトリック・テクノロジー・コーポレーションを退職すると製造業専門専業のコンサルティング会社であるネクステックを創業。
代表取締役社長に就任し、設計領域のソリューションであるPLMを日本の製造業に広めました。
2005年には設立から実質3年半で東証マザーズに上場。
その年に、「アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー2005」ファイナリスト受賞。
翌2006年に「創業・ベンチャー国民フォーラム」起業家部門受賞を受賞しています。
勢いは留まらず、ポータル社、フォーリンク社を次々と買収し子会社化をすすめました。
山田太郎議員の2007年~2011年までの経歴
2007年に中国市場へ展開するために、中国兆維グループのIT子会社を買収しています。
公でも意見を求められ、経済産業省の「ベンチャー企業の成長に関する研究会」で委員、「日本経団連企業創造委員会メンター研究会」の委員を歴任しています。
大学では、東京工業大学特任教授、早稲田大学ビジネススクール准教授として教鞭を振るっていました。
2008年にネクステックの増資のため富士ソフトとハオンズ型コンサルティング会社である経営共創基盤の子会社となりました。
その際に、社長を退任して取締役顧問になっています。
2009年にはネクステックは2期連続で債務超過を改善できずに、東証マザーズ上場廃止となりました。
その後は卸売業、物流をメインにコンサルティングを行うロジサイエンスを創業して、代表取締役社長に就任。
そんな功績もあったことから、「ガイアの夜明け」「ブルーンバーグ」等テレビやラジオに多数出演し、東京大学や早稲田大学の非常勤講師も務めていました。
2011年に日本の技術系企業の海外進出を支援するサービスを展開する、株式会社ユアロップの代表取締役に就任。
政治家としては、2010年に第22回参議院議員通常選挙の比例代表候補で「にみんなの党」として立候補するも落選。
その後、2012年12月14日に比例区の上位当選者の第46回衆議院議員総選挙への立候補に伴う自動失職に伴い、9位の藤巻幸大さんと繰り上げ当選となり政治家の道を歩みだすこになりました。
まとめ
多忙を極める山田太郎議員と家族について紹介していきます。
娘さんのお陰で、秋葉原の票は盤石ですね♪